寄贈作品


ある日の学生――黒木泰則
  written by ドキ2


すでに日が落ちた、夕方のコンセルヴァトワール。
僕、黒木泰則はマルレのリハのあと、いつもの様に大急ぎで練習場を離れ、今日は教室に10分の遅刻。
(…いやな癖がついてしまった…)
それでも幸い僕の先生は、さらに10分遅れてやってきて、レッスンは普通に行なわれたけれど、こんな上手い事がいつまで続けられるだろう。
先生がたまたま時間にルーズだからって、もし違う教諭だったなら、僕はすでに通学停止じゃないか。

あ、僕と一緒に学校に滑り込んだ、ポールはどうだったろう。
バソン科までは結構距離があるんじゃないか?

でもそんな事を考えていたのは最初だけで。僕はすぐ課題曲の世界にのめりこんでいった。
音をオーボエから引き出すように、細心の注意を払い、集中していると、やがて僕はある種のゾーンに入る。
疲労を忘れ、ただただ、僕の吹きこむ息が、繊細でのびやかなオーボエの音に還元されていくのにまかせる。
僕はどんな曲も美しいと思う。
すべての旋律は、オーボエを通すと、切ない、悲しみと官能が交じり合った、細い音となって、虚空に金色のの螺旋を作っていく。
ひとつの曲を吹き終えると、いつも数秒は余韻に浸りたい。

「ふむふむ、イイね、ヤス。なかなか集中している。オケとの両立が出来るようになってきたかな。ふむ、心配だったが…。まあ大丈夫だね。いい感じだったよ。」
「ありがとうございます、先生…。」
ほっとして、すがすがしく深呼吸する。

「じゃ次の課題曲いってみよっかー。」
…ずし!ま、また新曲…?!
「あ、そだマルレの公演終ったら、また室内楽の方もおやんなさい。このあいだのは中々教授連に評判よかったんだよ。」
にっこり、おっとりと先生は笑いながら話す。
実はこの先生は生徒をおだてながら育てるスタイルなんではないだろうか。
さっきまでの陶酔感が、現実に引き戻されて、僕はすっかり暗澹としてくる。
課題…室内楽…。またこなせるんだろうか。
やってみたら何とかなったって事もこれまでに何度もあったし。
「木管のアンサンブルをもっと経験しなさい。この間のバソンの子。あの子の先生は僕、友達なの。あっちも喜んでいたから、また組むといいよ。都合がつくならね。他にもクラリネット・フルート・ホルンを探して……。」

ポール…ポールとまた組むのか。一抹の不安。
いや、でも、実力は凄いんだ実力は。
現にほぼ毎日、ポールと近いポジションにいて、彼の執念のバソンを聴いているのだ。
ファゴットの先輩と、微妙な空気を漂わせているのも、いつもだけど。

やがてレッスンは終り、(先生はいつも30分近く遅刻をして、5分前にはレッスンを切り上げて帰ってしまう…いいのか…いや、習いたくて就いた先生なんだし、すばらしいと思うし…)もう真っ暗な窓を眺めながら帰り支度をしていく。
オーボエを分解して、掃除をしながらケースに順に収めていく。
緊張がほどけ、どおっと疲労感が出てきた。
ううっ…肩が重い…。

どたどたどたどた…

廊下を走ってくる足音が、遠くの方からだんだんと近づいてくる。
ふと、連想した人物の顔を、首を振って打ち消した。

がちゃ!

「ヤ・ス〜〜〜!!」
「やっぱり、君か…。」 ドアから顔をだしたのはやっぱりポールだった。打ち消すまでもなかったか。
違う棟のバソン科から、君は走ってきたのかい。…怒られるぞ。
(なんだか優等生的な発想で、いやな人間だな、僕)
ポールはいつものように満面の笑み。疲労とは無縁なのだろうかこの男は。
「アハハ!わかった?!一緒に帰ろうよ!」
がく!
なんか、こういう誘われ方って、小学校の時以来だなあ…。
「うん、ちょっとまって。」
「ヤス、僕の先生がね。君の事をほめてたよっ!」
「え?」
「室内楽、またやれって言ってくれたんだ。ヤキトリオ復っかーーつ!」
大仰に両腕をあげて、ひとりで大騒ぎしている。ここに恵ちゃんがいたら、また同じように喜んでいるんだろうな。
「…や、僕も言われたけど、もちろん君もだけど、他の木管奏者も探してクインテットにも挑戦してみたらって僕は言われたよ。」
「ふむそうだな。そうすると名前をどうするかだな…。」
「名前より奏者を探さなくちゃ!クラリネット、フルート、ホルン…。」
「玉川カルテットってあるよねえ!」
「…なんで知ってるんだよ君が!」
「ラ・セーヌ・ド・クインテット!」
「だから、なんでラ・セーヌの星まで知ってんだよ!」
「え、なにそれ?」
「ハ…い、いや、だから名前はまたあとで…/////」
「のだめにも相談してみよう。」
「また変な名前にしないでくれよ!」
「そう?」
「フツーでいいから、フツーで!」

それからも、やいのやいのと独りで大層に喋り続けるポールと、冷静に突っ込みを入れる僕は、そのままデュボワ家に連れていかれ、その晩はの夕食の席に招待された。

久しぶりの家庭の味は、とてもとても有り難く、僕は意地汚くおかわりまでいただいた。

―――追記。デュボワ家で初めてあったポールのお父上は、家族の中で独りだけ違う顔だった。その佇まいを見ていて僕は、できたらお父さんとは親しくなりたいと、こっそり思った…。



ある日の黒木泰則
黒木とポール。仲がいいんだか悪いんだか、合ってるんだかどうだかわからないけど、一緒にいると楽しくなってきますね。
私のツボは一人だけ顔の違うポール父です。実際はどうなんだろ?
ドキ2さん、ありがとうございました!
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